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大阪高等裁判所 昭和47年(ネ)1496号 判決

ソヴイエト社会主義共和国連邦

モスクワ市キエフ通一六の二八

控訴人

ニコライ・フヨードロヴイチ・サホブスキー

外四名

右五名訴訟代理人

中嶋徹

被控訴人

ハンス・クノフリー

ビクター・ベア

右二名訴訟代理人

元原利文

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

当裁判所は、本件遺言書はサホブ・ケイコにより作成された自筆証書であり、被控訴人らは右遺言により指定された遺言執行者兼受託者であると判断するが、その理由は、原判決九枚目裏四行目から同一一枚目表一行目までを次のとおりあらためるほか、原判決理由欄の記載(末尾添付の遺言書を含む。)と同一であるから、ここにこれを引用する(ただし、右引用部分中、八枚目裏二行目の「を作成し」の前に「(表紙および用紙四枚に記載された本文からなる。)」を、「同女は」の次に「右本文各葉に」を、同三行目の「氏名で」の前に「またはC・Mサホルスキー」を、同九行目の「成立に争いない」の前に「受付印の部分の」を挿入する。)。

3、本件遺言書には遺言者の押印がない。しかし、右遺言書は次の理由により有効である。

文書の作成者を表示する方法として署名押印することは、我が国の一般的な慣行であり、民法九六八条が自筆証書遺言に押印を必要としたのは、右の慣行を考慮した結果であると解されるから、右の慣行になじまない者に対しては、この規定を適用すべき実質的根拠はない。このような場合には、右慣行に従わないことにつき首肯すべき理由があるかどうか、押即を欠くことによつて遺言書の真正を危くする虞れはないかどうか等の点を検討した上、挿印を欠く遺言書と雖も、要式性を緩和してこれを有効と解する余地を認めることが、真意に基づく遺言を無効とすることをなるべく避けようとする立場からみて、妥当な態度であると考えられる。

これを本件についてみるのに、前認定の事実および〈証拠〉によれば、亡サホブ・ケイコは一九〇四年ロシアで生れたスラブ人で、一八才のとき来日し、以後四〇年間日本に在住したが、その使用する言葉は、かたことの日本語を話すほかは、主しとてロシア語又は英語であり、交際相手は少数の日本人を除いてヨーロツパ人に限られ、日常の生活もまたヨーロッパの様式に従つていたことが認められるから、同女の生活意識は、一般日本人とは程遠いものであつたことが推認される。このような点からすれば、同女が本件遺言書に押印しなかつたのは、サインに無上の確実性を認める欧米人の一般常識に従つたものとみるのが至当であるから、押印という我が国一般の慣行に従わなかつたことにつき、首肯すべき理由があるといわなければならない。もつとも、同女が自己の印鑑を所有し、不動産処理の際等に使用していたことは、前認定のとおりであるが、右使用は官庁に提出する書類等特に先方から押印を要求されるものに限られ、そうでないもの、例えば火災保険契約書の如きものについては日本国籍取得後においてもサインをするだけで押印していなかつたことが、〈証拠略〉により認められるから右印鑑を所有し使用した事実も右認定を左右することはできない。次に、欧文のサインが漢字による署名に比し遙かに偽造変造が困難であることは、周知の事実であるから本件遺言書の如く欧文のサインがあるものについては、押印を要件としなくとも遺言書の真正を危くするおれそは殆どないものというべきである。以上の理由により、本件遺言書は前説示に従い有効とするのが相当である。

4、本件遺言書が有効であることが右認定のとおりである以上、その記載内容に応じた法律効果を生ずることはいうまでもない。そして、右記載内容(原判決末尾添付の遺言書参照)によれば、被控訴人らは、本件遺言の遺言執行者および信託の受託者に指定せられているから、右指定に従い、被控訴人らは遺言執行者および受託者の地位にあるものというべきである。もつとも本件遺言においては遺言執行の目的となる行為と、信託の目的となる行為との間に明確な区別はない(その結果、例えは受遺者に対する遺贈を遺言の執行して行うのか、信託財産の処分として行うのかが明らかでない。)が、遺言執行者と受託者が同一人である本件の場合においては、右の区別は必ずしも必要でない(遺言の執行として行うか、信託財産の処分として行うのかの選択を行為者の意思に委ねて差支ないから。)。また、本件遺言の第七項は、海星病院外八個の社会施設を指定して、それらに残余財産のすべてを贈与すること、および右贈与財産の配分方法を受託者の裁量に委ねることを定めているが、右残余財産の額は、第五項および第六項所定の出損を終了すれば自ら確定するものであり、このようにして贈与すべき財産の額が確定しうべきものであり、また受贈者が特定している以上受贈者相互間の配分率の決定を受託者に委ねたからといつて、信託の目的の確定を欠くものとはいえない。したがつて、本件遺言執行者の指定および信託行為は有効である。

五、以下の認定によれば、被控訴人らの本件請求はすべて理由があるからこれを認容すべきであり、これと同趣旨の原判決は正当で本件控訴は理由がない。よつて、民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(岡野幸之助 入江教夫 大久保敏雄)

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